21 Dec 2011

死を思う



今日は約1ヶ月前に亡くなったおじいちゃんの誕生日。

年末に近い事もあって、いつもみんなに忘れられがちだった師走の誕生日。

でも今年は忘れまいとして心に留めておいた。

地震の後急に認知症が進行して、1ヶ月後意識不明になって入院してから

7ヶ月も生きたおじいちゃん。

すごい生命力だと医者もびっくり。

地震がなかったらもっと生きただろうなあ。



私の今の考えによれば、おじいちゃんは意識がないと言われていたけど、

生きる意思があったからあんな状態で7ヶ月も生きたんじゃないかと思っている。

生きる意思がないと、体は元気でも人は死ぬ気がする。

でも生きる意思をたやすくなくすほど人間は弱いものではなく、

気力がないように見えても底力の強さはたぶん本人達も計り知れない。

生きることは死ぬ事と同じくらい不可解。


人の亡骸をみていつも思うのは、なんて空虚なんだろうという事。

魂には物理的には計り知れない重さがあったということを感じる瞬間。

一体何が、どこへ行ってしまったんだろうと、いつも不思議な気持ちになる。


昨日の夜、死を思って眠れなくなった。

ネガティブな思いにかられていたわけでもなく、ただ頭が痛かったので

なんとなく死を連想する夜だったのだろう。

死を思う事は二種類あって、一つは死への憧れや幻想で、

もう一つは生きる事とのバランスをとる為の思想だと私は思う。


昨日の夜の思いは、後者であって、昔思ったように、幻想的な死じゃなかった。

もっとリアルで、もっと落ち着いたものだった。

だんだん、死がリアルになっていくような気がした。

何がリアルかと言えば、自分にその瞬間が見えてしまいそうな気がしたから。

そういう、ある意味確かな想像力を生み出すのは、

きっと夜の魔力だと思う。

これだから夜は早く寝なくてはいけないのに。

それなのに、怖いものは追求したくなってくる、夜。


お化け屋敷の電気を全部付けた時みたいに、

あっけらかんとした答えがありそうな気もする。


急にいなくならないで、静かに徐々に消えて行ったような

おじいちゃんの孫思いのやさしい死は、

私に、感情的にならずに死と対峙する機会をくれた。

今年はたくさんの人が亡くなった。

たくさんの重みがどこかへ行ってしまった。

そんな人たちを忍ぶ気持ちでも、私は死を思い続けたい。














6 Oct 2011

Sylvie Guillem - Smoke

10/19にシルヴィ・ギエムのオンステージ"HOPE JAPAN"へ行きます。
今からワクワク。
なぜならあの伝説のボレロがみれるから!!
もう見られないと思ってた。


このSmokeというのも好きです。
音楽がArvo Pärtの "Für Alina"。


Why? - "Rubber Traits"

21 Sept 2011

アイビーアート

実家の垣根。

おじいちゃんのアイビーアート作品。








これは浅草橋を歩いてた時。

mmとkkとアイビーの壁画。